2009/11/04

「名草戸畔(なぐさとべ)」 近況報告

名草戸畔ついったーでも随時お知らせしていますが、名草戸畔の本は、現在、原稿の細部の修正をしています。伝承保持者である小野田寛郎さんと小薮繁喜さんの公認もいただき、 着々と進行しています。和歌山からは、本が出るのを今か今かと待っているという、うれしい声もたくさんいただいています。1月後半には、和歌山でトーク ライブも行うことになりました。

ナグサトベの本は、出る前から「読みたい!」という声がたくさん届いています。どうしてかというと、和歌山には、まだ知られていない貴重な伝承が残っていることがわかったからです。

その伝承とは、和歌山の古代豪族ナグサトベが「神武軍に負けなかった」というものです。『日本書紀』の記述とは真逆のこの伝承からは、王権とは無関係の、普通の人々の歴史が見えてきます。自然と共生する縄文人の暮らしも見えてきます。また、この伝承がいったいどういう過程で消えてしまったのか、という問題については、明治から昭和初期までの戦争の時代が大きく関係しています。つまり、ナグサトベは古代だけでなく、近代史の問題をも内包しているのです。様々な事情が重なり、ナグサトベ伝承は「宇賀部神社」宮司家出身の小野田寛郎さんが「覚えていた口伝」と、小薮繁喜さんが所蔵する、名草小学校で演じられたお芝居「名草戸畔」が最後の伝承となってしまったようです。

この伝承を本にして残しておかなければ、和歌山に関しては、『日本書紀』に書かれたことばかりが残ることになります。このままでは、支配階層とは無縁のふつうの人たちの間で語り継がれてきた歴史や伝承は、「残る価値のないもの」ということなってしまいます。しかし、わたしは、読者がそう考えているとは、とても思えません。だって、通り一遍の歴史より、地域の伝承の方がずっと自由で面白いからです。しかも似たような話は、和歌山に限らず全国にもあるはず。和歌山出身でない方も、共感できる要素はたくさんあります。

和歌山のみなさんや、全国の古代史ファン、あまり古代史に詳しくない人たちまでもがこの伝承に大きな関心を示しているのは、上に記したような「ナグサトベ伝承の意味」を理解しているからだと、わたしは思っています。ところが、出版社だけが、この状況を理解できないというおかしな事態がおこっています。どういうわけか「現場の温度」と「出版社の温度」が、ぜんぜんちがうのです。

ちなみに、出版社が原稿を前に必ずいうことは、以下の点です。

1.伝えたいことをもっているか。それを読みたい読者はいるか
2.一部の読者だけではなく、多くの人の心に響くテーマを持っているか
3.関係者の承諾を得られているか(主にノンフィクションの場合)
4.プロモーションの基盤があるか

ナグサトベに関しては、このすべてがそろっています。3.に関しては、小野田さんの了解済みなので、口伝のニュースソースは明確です。なお、今まで知られていなかった小野田口伝を採集したということは、古代史にとっても重要なことです。この口伝を掲載した本は、「レジェンド」になること間違いなしです。これだけ様々な条件がそろっていて、本を読みたい人が待っているというのに、出版社だけがこの状況を理解できないというのは、ものすごく「いびつな状態」といえます。本当に、 驚くべき状況です。

そこで、みなさんにお願いがあります。ブログやHPをお持ちの方には、本が出版された際にアマゾンのリンクを張っていただける方を大募集します。ぜひ、MOGまでメールをお寄せください。名草戸畔ついったーのフォロー、MIXIコミュの参加も大歓迎です。

潜在的に、このテーマに興味を持っている人は、たくさんいると思います。その方達が出てきてくれることで、出版は実現に近づいていきます。たくさんの「まつろはない者たち」の力で、この状況を突破していきたいと思っています。

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