2009/10/08

大国主とスサノオ 〜後編〜

 大国主とスサノオは、たいがい、このようにセットになっているのだが、よく調べてみるとこの二人は『記紀』にあるように、親子(同族)ではないらしい。宗教学者の松前健氏は、九世紀に完成した出雲の地誌『出雲国風土記』が、大国主とスサノオの関係についてまったく触れていないことを例に挙げ、「(スサノオと大国主は)本来、無関係であろう」と言っている。また、出雲では、先住の王家の血を引くと自称する旧家が十軒ぐらい残っていて、「自分たちは縄文時代から続く先住民、大国主の末裔。スサノオは別系統の部族」と語っているという。面白いことに、文献を調べている学者も、旧家の口伝(地元の伝承)も、似たようなことを言っている。

 そういえば、『日本書紀』ではスサノオは新羅の国から来たと思われる記述があり、出雲の伝承では秦の国からやって来た渡来人と伝えられているそうだ。つまり、文献と伝承、どちらもスサノオは渡来系の部族という認識をしているように思う。渡来人とは、どう考えても弥生人のことだろう。弥生人の子どもが縄文から続く先住民の大国主というのは、どうも、つじつまが合わない。すると、「大国主はスサノオの子ども(または六世孫)」という設定は、八世紀に『記紀』が編纂された際、作られたのではないか。考えてみれば、スサノオの子が大国主であれば、日本列島には先住の人たちは存在していないことになる。おそらく、この設定は、百済や新羅の渡来系の人たちが中心だった八世紀の中央政府によって、意図的に作られたのだろう。

 大国主を祀る神社には、必ずスサノオが頭にくっついてくるが、これも『日本書紀』成立後の八世紀以降のことと考えられる。だからスサノオの神社は全国にたくさんあるように見えるが、よく伝承を調べると、実際の祭神は大国主の地域もあるかもしれない。スサノオの方が後から上書きされたケースも多いのではないか。『記紀』にスサノオの子と書かれたからといって、大国主の正体が完全に消せるわけでもない。八雲の「氷川神社」や伊豆の「来宮神社」のように、大国主についてリアルな伝承が未だに残っているのは、かつて先住出雲の人たちが列島に暮らしていた名残なのではないだろうか。大国主の物語は、正史とされる文献ではなく、旧家の口伝や伝承の形で伝わってきたのかもしれない。対して、スサノオの八岐大蛇退治の物語は『出雲国風土記』にないため、地元の伝承ではないという説もある。八世紀の宮廷の物語作者によって、政治的な事情で創作されたという見方も多い。

 大国主伝承については、二年程前、名草戸畔の取材で和歌山を訪れたとき、興味深い話を聞いた。ライターの北浦さん、Iさん、社長、フォトグラファーのマリちゃんと、貴志川の「大国主神社」に出かけたときのこと。たまたま神社を散歩しているおじさんに出会った。おじさんは、氏子の村々や、神社のそばを流れる国主淵(くにしのふち)に伝わる伝承について、ひとしきり語った後、突然こんな話を始めた。
「この間、氏子の青年団で、熊野の本宮大社にお参りに行ったんです。熊野古道を歩いて行ったんですよ。本宮大社で、徒歩できたことを話したら、宮司さんがこういうんです。『どうして、そちらからわざわざお参りにいらしたのですか。あなたたち(大国主神社)のほうが偉いのに』」
 もしかしたら熊野の宮司は、スサノオより大国主のほうが古くからこの土地に住んでいたことを知っているのかもしれない。和歌山は、今も、古代が生きている不思議なところなのだ。

和歌山県貴志川町の「大国主神社」

 とはいえ、大国主が祀られた地域はすべて、縄文時代からの先住民が途絶えずに暮らしていたと断定することはできない。スサノオは、出雲の阿国などの旅芸人集団が各地に広めたため、中世以降になって、全国規模に広がったという説もある。それと一緒に大国主も祀られたはずだ。ややこしい話だが、古くからいる大国主と、中世になってスサノオにくっついて祀られた大国主もいるらしい。スサノオについても同様で、古くからのスサノオ伝承の残る地域もあれば、八世紀以降、中世以降に祀られた地域もあるだろう。つまり、先住大国主と渡来系スサノオは、時代が下るにつれ渾然一体となって広がっていったのだろう。いつのころからか、先住、渡来の区別などなくなり、混ざり合っていったのだ。大国主の草木の薬を使った病気封じの伝承と、八岐大蛇退治の舞が渾然と共存している八雲の「氷川神社」もその一つの例と考えられる。

東京八雲「氷川神社」の神楽殿で披露される剣の舞

参考文献:『出雲神話』松前健(講談社現代新書)『幸の神と竜』谷戸貞彦(大元出版)

2 件のコメント:

  1. 私は古代史のことはよくわかりませんが
    混ざり合っていったということは、調和して
    行ったのならいいことと思います。

    大国主の系統とスサノヲの系統が
    知らず知らずのうちに和合して隠された秘密
    としてそこにある、ってロマンですね~♪

    まるで猫のオッドアイのように。

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  2. 凛の風さん、こんにちは。

    調和という見方もあるけど、一時期は、大国主は征服された先住民という解釈もはやったようです。
    まあ、「日本書紀」「古事記」にあのようにかかれたことで、国主とスサノオの関係が「よく分からなくなった」という感じかなあ、と思います。結果として融合したようになってしまったのかも。まあ、現在の日本人はいろんな系統が混血していることがDNAでわかっていますので、融合しているといえばそのとおりかもしれません。

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