2010/01/19

『マインドトレック〜遠隔透視の全貌』ジョー・マクモニーグル/著



 FBIで遠隔透視者として働いていたというマクモニーグル氏が、遠隔透視について語った本。氏はテレビで有名になったのでご存知の方も多いと思う。遠隔透視とは、言うまでもなく、遠く離れた場所や物を透視すること。懐疑論者は後を絶たないが、透視ができると主張し、見えたモノが的中する人が存在することも事実だ。

 この本は、透視実験の様子をマクモニーグル氏の視座でスケッチしたものだ。たとえば、透視目標がどんな風に見えるのか、能力がアップするに従ってどんなことが起こるのか、といったことについて、マクモニーグル氏が感じたことが率直に述べられている。氏によると、透視目標は「空想」ではなく、情報が飛び込んでくるように見えてくるらしい。心の扉が開き、「別のリアリティ」を体験している感じなのだという。

 面白いのは、透視実験の様子が、作品を描くときにアイデアが浮かんでくる様子とひじょうによく似ていることだ。わたしの感覚だと、アイデアはぼんやりとした空想ぐらいではダメで、はっきりと絵や言葉になるぐらいの勢いがあると、ようやく形になる。遠隔透視は深い変性意識状態で見るビジョンなので、創作とも若干かぶる部分があるのだろう。

 マクモニーグル氏は、1970年に臨死体験を経験したという。どうやら氏は、臨死体験をきっかけに「心の扉」が開き、能力を発揮するようになったらしい。氏が、この能力を心の機能の一つと考え、何かを探したりする際の「道具のひとつ」として捉えているところは共感できる。

 遠隔透視のような別のリアリティを体験する能力は「チャネリング」とも紙一重なわけだが、「心の扉を開くと人生が上手くいく云々」といってチャネリングの訓練などするセミナーやヒーラーには要注意だ。人生は、心の扉が開いたからといって、どうなるものでもない。それとこれとは別であることをちゃんと理解すれば、不思議な世界をむやみに否定せず、楽しむことができると思う。

2010/01/13

『現代アボリジニの神話世界 精霊たちのメッセージ』松山利夫/著



 アボリジニの神話は、古い言い伝えを採集したものではなく、現在も住民の間で語り継がれている「生きた物語」だ。アボリジニには、自分の先祖に関連する動植物や自然が存在し、それは「ドリーミング」と呼ばれている。たとえば「明けの明星」をドリーミングにもつ種族などがいる。神話によると、人間は精霊の子どもで、生まれたときに、この精霊からドリーミングをもらうのだそうだ。アボリジニの物語は、精霊を媒介にして、地球上のさまざまな生き物と人間が共存する世界が描かれている。心豊かな精霊たちの物語を堪能できる一冊。

2010/01/09

『こころの手足』中村久子/著



 幼い頃、特発性脱疽のため手足を切断し、辛苦を重ねた中村久子氏の自伝。中村氏は、見せ物小屋で「だるま女」の芸名で働くという壮絶な人生を振り返り、自らこの本を書いた。「だるま女」は都市伝説の語源にもなっていることでも知られるが、元祖であるこの女性の人生は都市伝説のそれとは大きく違う。神様からもらった体、自分はただ生きているのではなく生かされているのだと、どこまでもポジティブ。ヤクザと堂々と渡り合ったり、文学が好きで舞台の袖で万葉集を読んだりした人生の様々な場面を綴っている。どの場面も生き生きとしていて、文章が上手い人だなと思った。「自分は半端な教養を身につけていたために、いわゆるヘビ女のような、はっちゃけた芸人になりきれなかった」という中村氏の感性はニュートラルで共感できる。度胸と知性を兼ね備えた素敵な人物だ。これは障害を超えて誰の心にも訴える作品。ところで、今流行の「生かしていただいてありがとうございます」の元ネタはこれかもしれない。

2010/01/07

『謎——戦慄の人体発火現象』ラリー・アーノルド/著 並木伸一郎/訳



 人体から突然、青い炎が燃え上がり、骨まで灰になってしまう怪現象。現場には、燃え残った足だけがごろんと転がっている。これが「人体発火現象」だ。もちろん、原因はまったくわからない。日本ではあまり聞かないが、欧米では多くの事例が報告されているそうだ。オカルトおたくのわたしには、欠かせない一冊。映画『フォースカインド』にも、ちょっと雰囲気が似ている。

2010/01/06

『日本語の起源』大野晋/著



 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 わたしは本が好きで、常に何冊も平行して読んでいます。気が向いたときに、読んでいる本を簡単に紹介していこうと思います。

 古代史好きで、大野晋(おおのすすむ)の『日本語の起源』を知らない人はいないだろう、と思うほど有名な一冊。ブックサロンOMEGAで、昭和32年(1957)発行の岩波文庫版をみつけて思わずお持ち帰りしてしまった。当時の岩波文庫はなんと100円。
 大野晋は言語学者で、氏の日本語のタミール語起源説が批判されたことでも知られる。しかし、ちゃんと著作を読んでみると、とても面白い。この本は音韻など言語学の問題についてだけ書かれたものではない。言葉は暮らしと文化とともに使われるという考え方が基本になっているので、人類学、考古学、民族学について多くのページを割いている。大野氏は、日本列島は南方系の母系社会と朝鮮半島北部の文化が複雑に入り交じっていることを指摘。日本語は、縄文時代の南方系の言語に北方の言語(いわゆるアルタイ語)が上書きされたと推測する。タミール語起源説は間違っていたのかもしれないが、民族の流れは当たっているのではないか。とくに縄文から弥生の過渡期に対する考え方など共感できる部分も多かった。