2010/05/24

『須田郡司の巨石パーク』MAPイラスト



先日、行われた、巨石ハンター/須田郡司氏の講演会に使用したイラストです。『須田郡司の巨石パーク』のイメージを色分けして表現しました。背景は水彩絵の具で手描きしたものをスキャンして使用。イラストはボールペンで線描きしたものをフォトショップで加工。楽しく描かせていただきました。

2010/05/21

『ムー大陸の謎』金子史郎/著

 わたしは古本屋で、今ではとうてい出版されそうもない、面白い絶版本を探すのが趣味だ。絶版本といっても高値の付いた古本ではない。百円〜数百円で手に入るチープな本ばかりだ。なぜわざわざチープな本を買うのかというと、すでに評価されて高値が付いた本を見つけても、あまり感動はないからだ。「こんな面白い切り口があったんだ」と思わせてくれる古本は、たいてい百円ぐらいだったりする。

 

 最近のお気に入りは、金子史郎氏の『ムー大陸の謎』。この本は、1977年11月の刊行。出版社は、講談社現代新書だ。ムー大陸といえば、今ではすっかりオカルト方面のジャンルにカテゴリされているはずだが、1977年の時点では、講談社の学術系が扱っていたという事実に軽いショックを覚え、思わず購入してしまった。

 ムー大陸とは、かつて太平洋上に存在したと伝承される大陸のこと。この本によると、1868年、イギリスの士官をしていたジェイムズ・チャーチワードがインドに駐在していたとき、ある高僧からムー大陸の話を聞いたという。なんでも寺院の地下にはおびただしい粘土板が保存されており、そこにはかつて存在したムー大陸の文字が刻まれていたとか。伝説によると遥か昔、ムー大陸では皇帝ラ・ムー率いるムー帝国の文明が栄華を極めていたが、洪水によって沈んでしまった。インドはそのムー帝国の植民地(?)だったという。高僧によると「この粘土板の文字は、母国から各植民地に布教のために派遣されたナーカル(聖なる兄弟)が用いたもの」だという。高僧は、ムーを「母なる国」「本国」と信じていたらしい。もちろん高僧の存在自体、どこまで本当なのか確かめようもない。適度にうさんくさくロマン溢れるお話ゆえ、ムー大陸幻想はまたたく間に広まった。

 この本の興味深いところは、著者の金子氏が、チャーチワードの話を素直に受け入れていることだ。高僧はムー帝国を「母なる国」で、人類の母国だと信じていた。チャーチワードは、この話に刺激されてムー大陸の研究をはじめた。高僧がそこまで信じているということは、伝説には何か背景があるはずと考えたのだ。金子氏は、このチャーチワードの視座を継承しつつ、極めて真面目に洪水伝説が今も残るイースター島やポリネシア、ミクロネシアの島々の神話や伝説を調べ、ムー伝説が根も葉もない話とは言えないと推測。その上で地質調査をし、一万二千年ほど前、ミクロネシアの島々が今より少し大きく遠浅の海が続いていた事実を提示して、ムー大陸とはかつて太平洋上に存在した島々のことで、ムー文明とは海洋的な暮らしをしていた人々の文化のことではないか、と結論づけている。

 金子氏は、伝説を信じるチャーチワードや、ポリネシアの人たちの心に残る想像豊かな伝説、ムー大陸に幻想を抱く現代人の心を否定せず(むしろ積極的に汲み取りながら)地質調査によって、大きな大陸ではないけどそれらしきものはあったのではないか、解釈しているのだ。極端に霊的な方面に走らず、学術一辺倒でもなく、健全な視座でムー大陸を語っているように思う。わたしは、このバランス感覚が現代にとって一番必要なのではないかと常々思っている。どんなに資料や理論が正確でも、人の心をおざなりにした研究などつまらない。

 金子氏は、最後に、ムー大陸の物語の資料や伝承が散逸していることについて、白人の侵略による被害があったことを述べて、こう語っている。

 ポリネシアの栄光の歴史は、いまや閉じられようとしている。ポリネシア世界を発見した当初の海の大ロマンは、わずかに口承に姿をとどめているにすぎない。ムー帝国にしても、この帝国を謎のヴェールに包んだほんとうの原因は、文明社会ではなかったか。ポリネシア諸島民の生命を奪い、創造力を窒息させ、記憶まで失わせたのは文明社会であった。

 余談だが、名草戸畔(なぐさとべ)のルーツについて調べているとスンダランドにいきつく。おかげでわたしにとって、新石器時代(縄文時代)、太平洋上に生きた海の民の話は、かなりリアルに感じられる。ポリネシア諸島民の伝承は、はるか日本列島の名草ともリンクしているかもしれない。

2010/05/05

『No Reason』by masashi_furuka



『No Reason』と題された写真集のページを開くと、浴槽でリストカットする若い女性が目に飛び込んできた。次のページには、オーブンに頭を入れたまま亡くなっている美しい女性。その次は、高速道路と交差する陸橋の上で、座り込んだまま動かない男性。どうやら彼らは自殺したらしい。

 実にショッキングな内容だが、これは本物の自殺の風景ではない。masashi_furuka氏が、ヘアメイク、スタイリングを駆使し、巧妙に作り上げた「死例」なのだ。「File01:死例001−012」と副題の付いたこのシリーズでは、12の死例が収録されている。

 オーブンの女性は、専業主婦か何かで表面的には幸せそうに暮らしているが、キッチンで作業中に突然「死」に取り憑かれてしまったのかもしれない。陸橋の男性は、何に絶望してしまったのか。橋の上でうたた寝したまま亡くなっているように見える。通行人は彼を見ても通り過ぎるかもしれない。誰にも死んでいることに気づかれず、ひとり橋に佇んでいるようだ。たった一枚の写真から、彼らが死に至った過程や状況が想像できる。これらの写真は、生きることの意味を見失って「境界線」を越えてしまった人たちの風景を、想像力を駆使して表現しているのだ。



 この写真を見ると、他人事ではないと思う。自分だって、いつ「境界線」を超えてしまうかわからない。よく考えてみれば、生きることの意味なんて分からないからだ。現代人は、不景気とはいえ餓えることもなく、楽しいことがあまりなくても「とりえあえず生きている」。わたしもそんなところが多分にある。そんな風に漠然と生きているわたしは、「生」に対する欲望が薄い。だからといって、この写真の登場人物のように、「境界線」を超えてしまっていいものだろうか。生きていたところで、何もないかもしれないが、死んだところで、何もないかもしれない。それならもう少し生きて、今自分がここにいることを大切にしたいと思う。例えそこに意味がなくても。

 masashi_furuka氏は、「架空の死」を作り上げることで、今現在を生きている自分を見つめ直す作業へ、見る人の心を導いているのではないだろうか。「架空の死」は、自分自身の心の奥へ旅をするための装置なのだ。



 masashi_furuka氏の第2回目の展覧会「永遠にしにたい」が5月7日より、新宿眼科画廊で行われます。今回の展覧会は写真集の第2巻も発売されます。みなさまもぜひ、出かけてみて下さい。

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2009年5月7日(金)~12日(水)
12:00~20:00(展示最終日~17:00)
新宿眼科画廊 スペースO
〒160-0022 東京都新宿区新宿5-18-11
TEL: 03-5285-8822
URL:http://www.gankagarou.com/
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<なかひら まい の本>



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