2011/01/15

古老の伝承04

 ところで、二〇〇六年に、わたしも和歌山市で、前述のように口伝と文献の両方の内容がよく似ているケースに出会った。
『名草戸畔 古代紀国の女王伝説』本文にも書いたが、わたしは和歌山市で、名草戸畔(なぐさとべ)が傷の手当てをすると騙して五瀬(いつせ)を討ったという言い伝えを聞いた。実は、この話は『宮下文書』『ウエツフミ』にも掲載されている。しかし、和田でこの話をしてくれた人が、この文書を読んでいるのかというと、そうともいえない。この二つの文書は、『日本書紀』とは違い、古史古伝の類だ。これを知っているのは相当な古代史好きと思われる。読むには、かなりの下知識も必要になる。
 なお、和歌山市では「神武の軍船が大量に押し寄せてきたが、名草軍が猛攻撃を加えた。神武軍は大変苦戦した」という話も聞いた。たしかこの話は二つの文書にはなかったと思う。
 和歌山市と海南市には、二〇〇〇年を過ぎてなお、神武東征伝承が生きているのだ。

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